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マスコミ業界の転職は、チャンスをつかみ取るタイミングが大切です!
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音楽好きが功を転じてライターより転職

音楽好きが功を転じて

元ライターのYさんさんは、現在放送作家として活躍しています。Yさんの放送作家としての始まりは少し変わったもので、音楽好きが功に転じて、ラジオ局からロックに詳しい人間にある番組の構成を手伝って欲しいというところからだったそうです。
そして成り行きでその番組のDJになってしまいます。その後に、大阪である番組をはじめるから来てくれないかという依頼があり、いきなりコントを書いたりとしているうちに放送作家になったそうです。 Yさんいわく、放送作家をしていてつらいことは企画会議が長いことだそうです。反対に、ラクなことはまったくといってないそう。長い会議で12時間にも渡ることもあるそうです。

放送作家であるために努力していることは、常に街の空気を感じること、といいます。 企画会議の前日には眠れないほどだといいます。いざ、企画を書こうとしても突然にひらめくなんてことはそうなくて、やはり情報収集の賜物だと彼はいいます。雑誌、美術館、イベントなどそれこそなんでもいい。自分が面白いと思うことをもっと掘り下げて実感してみる。かといって、今はやりのことをやるということではなく、時代を感じながらもこういう昔のネタをもってきたら面白いのではないか、などと自分なりの軸でもって考えていくそうです。 あと、放送作家は、書けた方がいいし喋れたほうがいい、というアドバイスです。

 

「また呑みに行きたい人」こそが、「いっしょに仕事したい人」

現役の放送作家であり、またスクールの講師をしているWさんは、もともと芝居の世界で活躍することを目指していたそうです。ディレクターズスクールに通っていましたが、ひょんなことである番組のお手伝いをしたことから、放送作家へ転身。ディレクターズスクールに通っていた頃は、放送作家という職業を知らなかったといいます。知ったその日に、〝これだ!〟とおもったそうです。タイミング重視のスピード転職です。

生き方さえも放送作家ならではの「何でもあり」の道を貫き通す姿勢です。テレビが特に好き、というわけでもなかったそうですが、入れた環境が刺激的な先輩の多い環境でどんどんのめり込んでいったそうです。 「関わる人みんなに面白がらせる、それがプロの仕事」だとWさんはいいます。見ている人すべてが面白いと思うものをつくるのは至難の業ですが、意外と面白いということを発見したそう。芝居をやっている頃はもっとマニアックで一部の人にしか分からないようなものにこだわっていたようですが意識が変わったともいいます。 現在講師も務めるWさんは、学校はチャンスの宝庫だから、もっと活用するべきだ、といいます。 放送作家としては、人間関係をとても大切にしているそうで、「また呑みに行きたい人」こそが、「いっしょに仕事したい人」というのが持ち論。そして、教科書のようなHOW TOがなくても動けることが才能だといいます。

 

挙手して発言したら一発で放送作家へ

Iさんは制作会社のADでした。放送作家になる気もなく、好きな音楽活動にいそしんでいました。様々なアルバイトー服屋の店員や遊園地のぬいぐるみの中に入る役など、ユニークな職種が経歴には並びます。 AD時代に参加していた企画会議で、作家たちが誰も面白いネタを持ってこなかった。そこで、挙手して発言したところ、一発でその企画が通ってしまったらしいんです。それで、演出の人に、放送作家にならないか、と誘われたのがはじまりだそうです。

作家としてスタートを切るもADとしの仕事は継続していて1年ほどしてから作家1本に絞り、先輩作家とともに事務所を作ったそうです。 「何かを変えたい!」という気持ちを忘れてはならないと、Kさんはいいます。 むしろ、テレビ業界のことを何も知らなくても、その気持ちだけであとは何も考えずに入ってきて欲しい、といいます。それこそが、プロとして活躍しはじめてもまわりの情報に振り回されすぎずに、常に斬新な発想ができるそうです。自分のなかにある太い芯のような、エモーショナルな部分で勝負したいという情熱が自分を動かしているようです。実際に多くの番組を抱えて活躍しているKさんだけに真実味のある言葉です。

放送作家が輝けるのは、3年。まず、その3年をめざせ。

3年を目指せ

某テレビ局の制作部の部長であるMさんは、放送作家に転職したいあなたへこのようなメッセージを残してくれています。「放送作家が輝けるのは、3年。まず、その3年をめざせ。」と。 ただのテレビ好きでバラエティ番組ばかり見ている作家は長続きしないといいます。 テレビを見る時に、制作者や出演者の気持ちまで観察して離すことができる作家はやはり育つといいます。

そして、放送作家になりたいのであれば、字が書けることが基本だともいいます。字というのは、文章ももちろん含みます。企画書を書くにも、必要不可欠です。それを含めて、自分のアイデアを話して伝えるということができなければ、イメージがいくらよくても周りの人には伝わりません。

冒頭でいった〝3年〟というのは、何かというと、この最も輝ける時期に頑張っておくと、そのあと黙っていても仕事はむこうからやってくるというのです。先10年は食べていけるといいます。3年というとなんだか寿命がすごく短いように聞こえますが、人の入れ替わりの激しい業界ならではマスコミ業界でいう3年は、重く深い意味があります。長年にわたり、様々なタイプの放送作家を見ているだけありそのアドバイスにはサクセスストーリーへのヒントが詰まっているようです。

40代こそがバラエティ作家の分かれ道

自らが放送作家でありながら、放送作家事務所の代表取締役をもつとめるJさん。 今では、21人の放送作家と、31人の制作スタッフを抱えるまでに大きく成長しました。その事務所を作ったのも、構成のアシスタントや、お笑い芸人のコントを書いたりしているうちに、仕事の依頼がどんどん来るようになり、連絡先を作らざるを得なかったために作ったといいます。

Jさんは、50代になる放送作家ですが、振り返ってみて、40代こそがバラエティ作家の分かれ道だといいます。パターンとしては、30代のうちにバラエティを心行くまでやり、その後徐々にワイドショーや情報番組系に移行するのが理想的だそうです。家庭も持ち、主婦の気持ちも分かる年齢になったところで、自分にも合っているというのがその理由です。

また、放送作家を経てから、小説を書く人もいるそうで、それは、放送作家の仕事の一部である番組の台本は、放送が終わると捨てられるから、後に残せるものを作っていきたいというのが意とするところのようです。

Jさは、またバラエティ作家セミナーの講師も務めています。生徒として採用する人の基準は、その人間の過去を見ることだそうです。放送作家になるのに、ふさわしい過去をもっているかということを最も重要視しているそう。 求められる資質とは、〝笑わせたいという気持ち、そしてもっと笑いたい〟ということを心で思っているかどうかだというーベテランの域にいるJさんだけに、これはぜひ参考にして頂きたいです。